2015年07月17日

「抑止力」って言うな!

沖縄戦では本土の捨て石にされたとか言っときながら「海兵隊の抑止力は必要ない」とは、これまた滑稽な主張ですね。沖縄戦では10万の日本兵が守備していたが、沖縄を本土攻撃の中継基地にしたいという連合国軍の思惑から真っ先に攻撃目標にされたの忘れたの?「平和憲法」よりは、はるかに抑止力になると思うぜ。油断してると、今日のチベット=明日の台湾=明後日の沖縄、だよ!沖縄の人は中国人になりたいのかな?↑例えば1952年4月28日の沖縄タイムスの記事ですね。ちょっと検索すればすぐ出てくるからネットで閲覧できますが、確かに歓迎ムードこそあれ、どこにも屈辱の日なんて書いてないです。いつから屈辱の日という名前になったかというのは明らかなんです。1960年に沖縄県祖国復帰協議会というのが作られて、1961年4月8日の第3回定期総会で「屈辱の日」と呼ぶことを決めたんです。彼らは当初は沖縄の祖国復帰を目的とした宣伝活動をしていたのですが、当時のベトナム情勢の影響もあっていつの間にか反米・反戦運動を強めるようになってしまったんですよね。



Posted by My_cute_Blog at 21:56